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釧路地方裁判所 昭和57年(ワ)352号 判決

原告

杉本晃

右訴訟代理人弁護士

高橋良祐

加藤義明

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

井上經敏

外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金三〇〇〇万円及び内金二七〇〇万円に対する昭和五七年一二月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨

2  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(無罪判決の確定)

釧路地方検察庁検察官検事は藤田文明(以下「藤田」という。)の原告に対する告訴に基づき、昭和五二年一二月九日原告を詐欺罪で逮捕して捜査し、同月二八日別紙記載の公訴事実(以下「本件公訴事実」という。)により釧路地方裁判所に公訴を提起した(以下「本件公訴提起」という。)。

同裁判所は昭和五六年三月一六日原告に対し懲役二年六月の実刑判決を言い渡したが、原告控訴の結果、札幌高等裁判所は昭和五七年二月九日に原判決を破棄した上、本件公訴事実について犯罪の証明がないとして無罪の判決を言い渡し、右判決は同月二四日に確定した。

2(本件公訴提起の違法性)

(一)  原告は捜査の段階から検察官に対し、本件公訴事実中原告が藤田らに虚偽の境界を指示したとする点について、終始一貫これを否認し続けていたものである。原告の供述内容は概ね以下のとおりであつた。

(1) 原告は昭和四八年四月ころ川上郡標茶町字塘路二〇番一三の原野(以下「二〇番一三の土地」という。)を当時の所有者土佐藤藏の相続人から購入し、昭和四九年七月ころ、右土地の南側(釧路側)約三分の二を呉松振穂に売却し、この売却部分と残地の境界を、東西に引いた直線とし(以下「南側境界予定線」という。)、分筆登記が済むまで全体を右割合で共有することに合意していた(二〇番一三の土地のうち残地約三分の一を「本件土地」という。)。

(2) 昭和四九年夏ころ、原告に対し辻谷守から本件土地の売買についての打診があり、同年一二月、同人から正式に買受けの申込みがあつたので、本件土地を案内するため原告は辻谷守らと同年一二月一四日に現地で落ち合う約束をした。右同日、原告は辻谷守と打ち合わせた時間より三、四〇分早く現地に到着したが、急に激しく雪が降り始め、同日午後二時四〇分ころ辻谷守が藤田、辻谷博とともに、別紙図面地点(以下B地点という。)付近に到着したころには、積雪が増していく状況となつた。

(3) このような状況の下で、原告は藤田らに対し、まず駐車中の車内で持参の図面を見せながら本件土地の概略を説明し、次いで車外に出て旧道道釧路弟子屈線を釧路方面に歩いて冷泉橋付近まで行き、本件土地の南側境界予定線を指示し、さらに戻つてB地点を通過し、山裾に沿つて右へカーブする道路をB地点から標茶方面へ約127.6メートル歩き、原告が本件土地の北西側境界であるとする別紙図面地点(以下A地点という。)に至つて、本件土地の北西側に隣接する標茶町農業協同組合所有の川上郡標茶町字塘路三二番二の土地(以下「農協所有地」という。)にその大部分が所在する山(以下「本件の山」という。)の斜面を数メートル登り、その辺りに本件土地と農協所有地の境界を示す仮杭があることを告げ、降り積もる雪を掻き分け、仮杭を探したが積雪のため見つからないので中途で探すのをやめ、同人らに対し境界はこの付近に間違いない、本件土地の形状は長方形であること等を説明しながら、その場所に立つて境界が走る方向として東方を指示したものである。したがつて、公訴事実のいうように原告がB地点から標茶方向へ道路に沿つて368.7メートルの別紙図面地点(以下C地点という。)付近まで藤田らを案内し、同地点までが本件土地であり、それ以北がその隣地にあたる旨の虚偽の境界を指示したことはない。

(二)  しかるに検察官は、捜査を尽くした上収集された証拠を正しく評価し、厳正慎重な判断を加え、有罪判決を得る客観的合理的な嫌疑が存在する場合のみ公訴を提起すべき職務上の注意義務があるのに、次のとおり捜査上の過誤を重ね、原告の供述やこれを補強する証拠をことごとく排斥し、本件の告訴人であり、かつ被害者である藤田の供述と、これに符合する関係者の供述のみを軽信し、本件公訴事実につき客観的嫌疑が存在せず、有罪判決の可能性がないにもかかわらず、本件公訴提起を行つた違法がある。

(1) 原告が指示したと供述するB地点から道路に沿つて127.6メートル標茶方向に進んだA地点と、藤田らが原告から指示されたと供述するB地点から道路に沿つて368.7メートル進んだC地点とは、本件の山の頂上から西端に下る尾根を中心にほぼ表裏の位置関係にあり、いずれの地点においても路上からは急斜面の陰に位置する本件の山の頂上を見ることはできず、付近の状況も双方酷似していて外観上区別できる格別の特徴もなく、殊に降雪によつて白一色に変貌した風景を考えると、有形的印象物のないかぎり、藤田らが指示されたと主張する地点を確認することは殆ど不可能な筈である。藤田は取調べの最終段階である昭和五二年一二月二〇日付けの検察官に対する供述調書(以下検察官に対する供述調書を「検面調書」という。)の中で、突如としてC地点付近に菱形の道路標識があつたと供述しているが、藤田が現地案内の当時既に道路標識という有形物の存在を認識していたならば、捜査の当初から自己の被害状況を最も客観的に説明しやすい右道路標識の存在を供述するのが自然な態度でなければならないのみならず、辻谷守、辻谷博の供述調書においてもこの道路標識に対する認識が全くなく、その上昭和五一年一一月二六日に行われた藤田立会の検察官の実況見分調書の見取図(甲第二号証)には、この道路標識の存在が表示されていないのに、昭和五二年七月一八日に行われた辻谷守、辻谷博立会の検察官の実況見分調書の見取図(甲第三号証)にはその存在が表示されており、このことは原告が昭和四九年一二月一四日藤田らを本件土地の現場に案内した(以下「本件現地案内」という。)当時、同地点には道路標識はなかつたことを窺わせ(刑事第一審の公判審理においても、道路標識は検証日の昭和五三年八月二五日の一〇年位前には別の地点にあり、検証日の二、三年前の道路改良工事の終了した時点で藤田の主張する地点付近に移動され、さらに検証日の二、三日前にまた別の地点に移動されたという証言があり、本件現地案内当時に藤田の主張する地点に道路標識があつたという確証はない。)、藤田自身も刑事控訴審に至り、道路標識は山裾側のカーブミラーであつたとか、付近に沢があつたとか供述するに及んでおり、したがつて藤田の前記道路標識についての供述はことさら作為されたか、思い違いによるものであることが推認される。検察官は実況見分のためわざわざ現地に臨み自ら知見した客観的事実と藤田の供述との齟齬に気付かずこれを看過したか、あるいはもつぱら藤田らの単なる感覚的距離感を軽信したものといわざるをえず、検察官として重大な過誤を犯したものである。

(2) 原告は本件現地案内に際し、駐車中の車内で藤田らに持参の図面を見せて本件土地の概略を説明し、次いで車外に出て道路を釧路方向に歩いて湿地帯中央を流れる小川に架かつている冷泉橋の付近まで行き、本件土地の南側境界予定線を指示したと弁解しているにもかかわらず、検察官は、標茶側の境界だけに関心を払い、釧路側の境界についての、右弁解を無視し、藤田、辻谷守、辻谷博の三者に対するこの点の捜査を怠つているが、もし、本件土地の南側境界予定線についても藤田らに対する捜査を尽くしていれば、本件土地の形状その他についての三者の認識に顕著な対立があることが判明し(昭和五三年八月二五日に行われた刑事第一審裁判所の検証の際、辻谷らは本件土地に湿地帯が含まれると認識し、藤田は湿地帯は全く含まれないと認識していた。)、その当然の事理として、その北西側の境界地点についても三者に相違が生じなければならないはずであり、したがつて原告から指示されたとする北西側の境界は藤田の主張する地点付近であるということで完全に一致している三者の供述は論理法則と経験則に違背し、信用性のないものであることが容易に看取しえたのである。検察官は右の点の捜査を怠つたため、採証法則ひいては事実の認定について過誤を犯したものである。

(3) 本件土地の北西側境界についての検察官の藤田ら三名に対する捜査は、単に原告に指示されたとする地点の位置、距離だけの確認に止どまり、その際原告が尾根のいかなる方向を指し示したかについては一向に捜査していないが、この点につき捜査を尽くしていれば、公判後明らかになつたとおり、原告から指し示されたとする指示方向につき三者の認識に重大な相違があることが判明し、その結果南側境界に関する三者への指示説明と相まつて、本件土地の形状の認識につき三者三様の全く異なる様相を呈することが明らかであつて、藤田が告訴で摘示する本件土地の形状である扇形とは全く一致しないことになり、三者の供述が全く信用性のないものであることが看取し得たにもかかわらず、検察官はこれを怠り粗略な捜査を行つた結果、採証法則ひいては事実の認定を誤つた過誤がある。

(4) 原告の検面調書によれば、「原告は本件現地案内の日、辻谷らと打ち合わせた時間より三、四〇分早く現地に到着し、かねて大村邦和から説明を受けていた本件土地の北西側境界点付近に存する仮杭を確認するため原告の主張する地点付近まで行き、四、五メートル山側に登つた付近に頭を赤く塗つたプラスチック製の杭と、そのそばに密着して立つていた頭部に赤いきれを結んだ棒、更に杭の真上に赤印の付いた雑木を発見していたが、藤田らが到着してから同人をその地点まで案内し、仮杭を指示しようとしたところ、激しい降雪のため仮杭を発見することができず、両手で雪を掻き分けて探したが見つからないので、仮杭の真上にあつた菅野喜一が測量するために切つたと思われる右雑木を藤田らに示し、境界はこの辺だと説明した」旨の具体的で迫真性に富む供述をしている。それにもかかわらず、検察官は、藤田、辻谷の外に、主として菅野喜一の供述を根拠に原告の右供述を排斥し、仮杭は当時存在しなかつたと認定した。しかし、菅野の昭和五二年七月一四日と同年一〇月六日付けの各検面調書(甲第一七、第一八号証)を検討すると、その供述が全体に不鮮明で、仮杭設置時期等の記憶が変転し、不自然、不合理であるのに対し、大村邦和の供述(その検面調書は甲第一六号証)は一貫性があり、仮杭の設置の時期、場所、付近の状況等具体的で、菅野供述に比し、はるかに説得力を有している。仮杭の存否は、原告の供述の信用性を判断し、犯罪の嫌疑の存否を決する重要な鍵であるから、原告の供述の真否を究明し、菅野と大村の両名の供述を比較検討し、その他の捜査を尽くすか、菅野・大村両供述の評価を合理的になしたならば、本件現地案内当時原告が指示した本件土地の境界点に仮杭が設置されていた事実を認定できたにもかかわらず、検察官は仮杭の存否についての捜査を十分に遂げず、又は合理的な判断をせず、ひいては事実の認定を誤つた過誤がある。

(5) 検察官は、藤田、辻谷守、辻谷博らの供述を鵜呑みにし、藤田の本件土地の購入目的が山砂の採取であり、原告においても右目的を認識していたから山砂の採取可能なB地点から標茶方向へ約368.7メートルのC地点まで藤田らを案内し、同地点までが本件土地であるとし、その売買価格も山砂の採取可能な土地であることを前提に定められたと認定している。しかしながら本件売買成立に至るまで原告と藤田側の交渉における応酬は専ら価格の点であり、原告は温泉の涌出する目玉商品として坪八〇〇円を固持し、藤田は坪五〇〇円を提示し、結局坪六〇〇円で売買が成立したものであり、原告は藤田が本件土地を購入するのは温泉の涌出する土地として転売するためであると了解していたのであつて、山砂が価格決定の条件にはなつていなかつたのである。原告は捜査の当初から山砂採取目的の認識及び北西側境界の指示地点について藤田らの供述と対立し、詐欺罪における犯意を終始否認していたのであり、その供述は一貫し、合理的で説得力をもつているのに、検察官は、原告の説明を軽信し、慎重な捜査を怠つた結果、事実の認定を誤つたのである。

3(損害)

原告は違法な公権力の行使である検察官の本件公訴提起によつて次の損害を被つた。

(一)  精神的損害―慰謝料

原告は不動産業を営む者であるところ、本件により約五年にわたり本件刑事裁判の被告人の立場におかれ、この間保釈金の捻出、原告及びその家族の社会的名誉の低落、事業への支障等により物心両面にわたる精神的打撃を受け、右精神的損害を慰謝するには少なくとも二〇〇〇万円が相当である。

(二)  財産的損害

原告は本件刑事事件の弁護人として一、二審を通じ弁護士高橋良祐、同加藤義明を選任し、右弁護料として七〇〇万円の支払いを余儀なくされ、同額の損害を蒙つた。

(三)  弁護士費用

原告は本件訴訟の代理人として右各弁護士を依頼し、その報酬として三〇〇万円の支払いを約した。

4 よつて原告は被告に対し、国家賠償法一条に基づく損害賠償として金三〇〇〇万円及び内金二七〇〇万円に対する不法行為の後で訴状送達の日の翌日である昭和五七年一二月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実中、原告が概ね同2(一)(1)ないし(3)の供述をしていたことは認める。

3  同2(二)の本文の事実中、検察官が藤田、辻谷守、辻谷博の各供述等及びこれに符合する他の参考人の供述等を信用したことは認め、その余は否認ないし争う。

4  同2(二)(1)の事実中、本件において原告が指示したと供述するB地点から127.6メートルのA地点と藤田らが原告から指示されたと供述するB地点から368.7メートルのC地点とは、本件の山の頂上から西端へ下る尾根を中心にほぼ表裏の位置関係にあり、いずれの地点においても路上から急斜面に位置する本件の山の頂上を見ることができないこと、藤田が検察官に対する昭和五二年一二月二〇日付け供述調書(甲第二七号証)中で案内された現場付近に道路標識があつた旨供述していること、昭和五一年一一月二六日に実施された実況見分調書添付の見取図(甲第二号証)中には道路標識の存在が表示されていないこと、昭和五二年七月一八日に実施された実況見分調書添付の見取図(甲第三号証)中には道路標識の存在が表示されていることは認め、その余は否認ないし争う。

昭和五一年一一月二六日に実施された実況見分において道路標識が存在していたことは同調書添付の写真から明らかである。また、捜査の進展に伴つて参考人が重要な点について新たに記憶を喚起することはしばしばあることであるから、藤田が昭和五二年一二月二〇日に至つて道路標識の話を持ち出したことはなんら不自然ではなく、本件においてはむしろ担当検察官が有形的印象物の捜査を行つていた状況を示すものにほかならない。

5  同2(二)(2)の事実中、原告が本件現地案内に際し、駐車中の車内で藤田らに持参の図面を見せ本件土地の概略を説明し、ついで車外に出て道路を釧路方面に歩いて湿地帯中央を流れる小川に架かつている橋の付近まで行き、南側境界予定線を指示したと弁解したことは認め、その余は否認ないし争う。

原告が行つた本件土地の南側境界の指示についての藤田ら三名の各供述は、いずれも原告の供述とは相反する点では一致している。また、南側境界予定線について捜査を尽くしていれば、必然的に北西側境界についても藤田らの供述に差違が生じなければならないとする原告の主張には論理の飛躍がある。

6  同2(二)(3)は否認ないし争う。

7  同2(二)(4)の事実中、原告が検察官に対する供述調書で同事実記載のとおり供述していることは認め、その余は否認ないし争う。

原告の供述と大村邦和の供述とは、仮杭のそばに立てたとされる棒の高さについて相違があるし、また、大村が原告の経営する会社の元社員で、かつ義弟であることを勘案すれば、大村の供述を直ちに信用してよいか問題であり、その意味で大村の述べる仮杭の存在自体疑問というべきであるが、検察官は仮杭が存在しなかつたことを前提に本件を起訴したものではなく、他の証拠との詳細な比較検討の上、仮に、仮杭が案内時に存在していたとしても、原告が指示した境界は仮杭の存在した場所とは異なると判断して起訴したものである。

8  同2(二)(5)の事実は否認ないし争う。

9  同3(一)ないし(三)の各事実はいずれも不知ないし争う。

三  被告の主張

1  刑事事件において結果として無罪の判決が確定したからといつて、それだけで直ちにその公訴提起が違法となるものではない。公訴の提起時に検察官に要求される嫌疑の程度は、事柄の性質上、有罪判決時裁判官に要求される犯罪事実の存在についての確信の程度より低いもので足りる。したがつて、起訴時において検察官が収集した証拠により犯罪事実を証明できると判断したことに合理性があれば、公訴提起は違法でなく、後に無罪の判決が確定しても被告人は公訴を提起されたことを理由として国家賠償法に基づく損害賠償を請求することはできないというべきである。

2  本件捜査は昭和五〇年一〇月一六日藤田の告訴により開始され、担当検察官は昭和五二年一二月二八日の起訴に至るまでの間、関係の各証拠を収集し、それらを総合的かつ詳細に分析した結果、被疑者であつた原告につき客観的に有罪とみとめられる嫌疑があると判断して本件公訴を提起したものであり、その判断は合理的かつ相当であり、担当検察官の捜査方法ないし心証形成過程には何ら違法性、過失はない。

本件刑事事件の主な争点は、原告は藤田の本件土地の購入目的(山砂採取)を認識していたか、本件現地案内の際、原告が本件土地の北西側境界として指示した地点は、真実の境界と合致した地点であつたかという点にある。ところで検察官が起訴時までに収集した証拠中、本件公訴事実を否定する方向に働く証拠は、原告及び大村邦和の検察官に対する各供述調書に限られ、他はすべてこれを肯定し裏付けるものであり、特に藤田、辻谷守及び辻谷博の各供述並びに各種の情況証拠からすると、次に述べるように、本件公訴事実は客観的に合理的根拠をもつて十分証明しうるもので、原告の供述は信用性のないものであつた。

(一) 辻谷守の検面調書によれば、同人が原告に土地の売買の打診をした際、原告は砂をとれる土地を持つているからぜひ買つてくれと言い、本件現地案内の際も、藤田や辻谷守が山砂採取の目的で土地を買う旨述べたにの対し、原告は山を指して「ここで一杯砂採つたらいい」と言つており、辻谷博の検面調書においても、原告は現地案内の際「この山ならいくらでも砂が採れる、土は湿地帯に捨てればいい」と言つており、右現地での原告の発言は、藤田の検面調書とも合致し、右各検面調書は具体性に富み、整然として特段の矛盾点もなく、信用できるもので、右各証拠からすれば、原告が藤田の本件土地の購入目的を認識していたことは明らかである。原告が主張する温泉の涌出する土地というのは、山砂の採れる山林が売買の対象であると信じていた藤田に対して価格決定を有利に導くために原告が示した付加的要素にすぎない。

(二) 原告が本件土地の北西側境界として指示した地点について、藤田らは、「釧路方面から道路に沿つて進行した場合農協所有地がシラルトロ沼に突出している尾根の先端を回つた地点であつた」旨検面調書で述べている。藤田の本件土地の購入目的は、その後農協所有地に所在していることが判明した本件の山から道路工事用山砂を採取することであつたから、現地案内をうける際は本件の山が本件土地に含まれるか否かを重視していたのである。このことは、藤田は自己が取締役として経営に参画していた砂利採取販売会社である明盛建設株式会社の事業拡張のため山砂採取可能な土地を物色していたこと及び本件土地の売買契約後である昭和五〇年一月三一日に山砂採取の準備のため、キャタピラー(押しブルドーザー)を購入し、本件土地の山砂の分析を株式会社北海道開発試験センターに依頼し、その他関係者、関係機関に山砂採取の目的を説明していたこと等関係証拠から認められる各事実からも明白である。したがつて、藤田ら三名は本件土地の北西側境界がどこにあるかにつき目的意識をもつて原告から本件現地案内を受け、右境界の指示を受けたのであるから、原告から指示された場所を三名とも誤認することはありえず、右三名の供述は、山砂採取のための技術的観点からなされており、また情緒的表現をも混じえながら細部にわたつているので信用することができるし、藤田が本件土地の売買契約後、原告から指示されたとする地点を終始一貫して他人に本件土地の境界として案内している事実等によつても十分裏打ちされている。

(三) 原告が昭和四八年一二月一八日に本件土地を藤田に売り渡した(以下「本件売買」という。)際の売買価格は一七五〇万円(坪単価六〇〇円)であるが、原告の妻が前所有者土佐らから本件土地を含む二〇番一三の土地を昭和四八年四月一日売買により取得した時の坪単価は約一七三円であり、本件売買時の昭和四九年一二月一八日を基準とする鑑定評価によると坪単価は約二〇円であり、山砂採取が不可能であることを前提にした当時の評価からすれば極めて高額でありかなり不自然な売買価格である。したがつて、土地ブームに乗り現況を知らない者が買うのならいざしらず、本件土地の湿地帯の現状を確かめ十分熟知している藤田が右価格で本件土地を買うはずがないにもかかわらず本件売買をしていることから、山砂採取の目的で本件土地を購入しようとしていた藤田が、原告から本件の山が本件土地に含まれる旨の指示、説明を受けていたことを裏付けるものといえる。

3  仮に、原告の請求が認容される場合には、その損害額から昭和五七年一一月一〇日原告に支払われた刑事補償二八万八〇〇〇円、費用補償一七七万三五三二円、計二〇六万一五三二円が控除されるべきである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1は、一般論としては認めるが、原告は、本件については起訴時において検察官が収集した証拠により犯罪事実を証明できると判断したことに合理性がなかつたと主張しているものである。

2  被告の主張2については、争う。

3  被告の主張3については、認める。

第三  証拠〈省略〉

理由

一釧路地方検察庁検察官検事(以下「担当検察官」という。)は藤田の原告に対する告訴に基づき、昭和五二年一二月九日原告を詐欺罪で逮捕して捜査し、同月二八日釧路地方裁判所に本件公訴事実により本件公訴を提起したこと、同裁判所(以下「刑事第一審」という。)は昭和五六年三月一六日原告に対し懲役二年六月の実刑判決を言い渡したが、原告控訴の結果、札幌高等裁判所(以下「刑事控訴審」という。)は昭和五七年二月九日に原判決を破棄した上、右公訴事実について犯罪の証明がないとして無罪の判決を言い渡し、右判決は同月二四日に確定したことは当事者間に争いがない。

二ところで、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに検察官による公訴の提起が違法となるものではない。けだし、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないが、犯罪の成否を判断するための裁判所の事実認定は主として訴追側・被告人側の双方により法廷に顕出された証拠に基づいてなされるので、検察官と裁判官との間に証拠評価や事実についての心証におのづから差異が生じ、犯罪事実の存否について両者の判断が分かれうることを刑事訴訟法はその制度上当然予定しているからである。したがつて、起訴時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪を期待できる可能性があることが必要で、またそれで足りるものと解するのが相当であるから、検察官が当該事件について必要とされる捜査を尽くし、収集された証拠資料を合理的に判断した結果、被疑者に有罪判決が期待できる可能性のある客観的な嫌疑が認められ、公訴を提起した場合には、公訴が後の裁判で無罪となつて確定した場合でも公訴提起は違法性がないと解すべきである(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決、民集三二巻七号一三六七頁参照)。

三そこで、本件において原告の主張する違法事由について判断する前提として、まず、本件公訴提起に至る捜査の経緯及び本件公訴提起に際しての担当検察官の判断について認定することとするが、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  藤田は、砂利採取販売業を営む明盛建設株式会社の専務取締役で、事務遂行の必要上、山砂採取の可能な土地を求めていたところ、これを知つた原告が藤田に対して虚偽の境界を指示し、本件土地の範囲を偽つて売買契約を締結させ、その代金を騙取したとして書面により原告を詐欺罪で告訴し、昭和五〇年一〇月一六日釧路検察庁は藤田の右告訴状を受理した。担当検察官は昭和五一年四月末ころから右告訴事件を担当することになり、直接検察庁に告訴された事件であり、告訴状に添付された資料以外証拠資料がなかつたため、事件については白紙の状態で捜査に着手した。

2  担当検察官は、まず同年八月ころ告訴人である藤田を検察庁に呼んで取り調べを開始し、さらに、藤田の取り調べを繰り返し、被告訴人である原告、関係者である辻谷守らを取り調べ、現地の実況見分等の捜査を実施した結果、原告は、昭和四八年四月ころ二〇番一三の土地二八万六九四一平方メートルを当時の所有者土佐藤藏の相続人らから購入し、所有権移転登記は妻の杉本久枝名義とし(その後更に原告が経営する株式会社カネ拓拓伸の名義となる。)、昭和四九年七月ころ、右土地のうち南側(釧路市側)約三分の二を呉松振穂に売却し、この売却部分と残地である本件土地との境界を東西に引いた直線とし、分筆登記手続が完了するまで全体を右割合で共有することに合意していたこと、右の土地は標茶町字塘路に所在するシラルトロ沼に西面し、東・北・南は丘陵的山林に囲まれ、北方の一部のみが林地の法尻的要因であるが総じて低湿地を構成し一面にヨシが密生した湿地性原野であり、本件土地の北側に隣接する農協所有地(地積六八万四三二〇平方メートル、地目牧場)との境界線は別紙図面のA地点からほぼ真東に約一一九四メートルの直線であること、そして、本件公訴事実記載の売買契約が締結されその売買代金も原告に支払われたこと(ただし、本件土地の範囲及び犯意の点を除く。)は明らかとなつたけれども、本件現地案内の際原告は本件土地の北西側境界として藤田らに指示した地点が、A地点(以下「原告主張地点」という。)であるとする原告の供述と、C地点(以下「藤田主張地点」という。)であるとする藤田の供述及びそれとほぼ同旨の辻谷守らの供述とが対立しており、本件現地案内の際原告が指示した北西側境界地点は実際にはどこであつたのかという点が本件詐欺事件の成否の主要な争点であるところ、原告主張地点と藤田主張地点とは、本件の山の頂上から西端を下る尾根を中心にほぼ表裏の関係にあり、いずれの地点においても路上から急斜面に位置する本件の山の頂上を見ることはできず、付近の雑木林の状況も双方酷似していて外観上区別できるような特徴はなく、関係者の供述以外に原告が指示した右の境界地点を具体的、客観的に特定する証拠がないことが判明した。原告の供述は、本件土地の北西側境界として原告が藤田らに指示した地点がどこかという後に本件公訴事実となる詐欺の外形的欺罔行為に該当する事実についてはもちろん、本件現地案内の際藤田らと原告との間でどのようなやり取りがあつたのか、本件売買契約締結までに藤田、辻谷らが山砂採取という本件土地の購入目的を原告に話し、原告が藤田の右購入目的を認識していたか否かという原告の詐欺の故意にかかわる事実等についても、藤田あるいは辻谷らの供述と相反するものであつた。したがつて、担当検察官としては、前記告訴事件を詐欺罪として起訴できるか否かは、結局、一連の藤田の供述が、本件土地の購入目的及びその必要性、売買前の原告との交渉、本件現地案内の状況、売買代金決定過程、売買契約締結後の藤田の行動、告訴の経緯等の事実によつて客観的に裏付けることができる信用性の高い証拠と評価でき、原告の供述を排斥できるか否かにかかるものと判断した。

3  そこで、担当検察官は藤田の供述の信用性を判断するために、捜査関係事項照会や関係者の取り調べ等を行い、裏付け捜査を進めた。まず、本件土地の購入の動機については、辻谷建設株式会社が請け負つていた旧道道釧路弟子屈線の道路改良工事の下請けとして藤田が行つていた砂利の採取、運搬事業をさらに拡張するために必要としていた山砂を標茶町茅沼近辺で採取できる土地として本件土地を購入したという事実を、下請けとして藤田を使用していた辻谷建設株式会社の代表取締役辻谷博及び取締役辻谷守、藤田と同業者の山崎武、藤田の兄で明盛建設株式会社の代表取締役であつた藤田盛を取り調べることによつて裏付け(いずれも検面調書を作成)、次に、藤田の本件土地の購入資金について、藤田盛、藤田の弟で明盛建設株式会社で運転手として稼働していた藤田和弘、藤田の父で、七〇〇万円を藤田に援助した藤田章、藤田の長兄で、右七〇〇万円を藤田章と共に援助した藤田武を取り調べることによつて裏付け(いずれも検面調書を作成)、さらに、本件土地購入後、山砂の採取、販売のため行つた藤田の準備行為に関して、藤田が経営に参加している明盛建設株式会社が昭和五〇年一月三一日に山砂を採取し、山を崩すために使用するキャタピラー(押しブルドーザー)を北海道建設機械販売株式会社から購入している事実を右両会社間の売買契約書によつて裏付け、明盛建設株式会社が本件の山の山砂の分析を株式会社北海道開発試験センターに依頼し、昭和五〇年二月一二日に骨材試験報告を受けている事実を右報告書によつて裏付け、藤田が昭和五〇年三月二〇日に標茶農業委員会に対し山砂採取の為必要である旨記載した本件土地の現地目証明願書を提出した事実を右現地目証明願書及び鈴木健一に対する取り調べによつて裏付け、藤田が昭和五〇年三月ころ砂利採取法、採石法等に基づく許認可業務を担当していた釧路支庁商工労働課指導保安係長田中信行を現地に案内し、山砂採取許可の事前調査をしてもらつた事実を田中信行に対する取り調べによつて裏付け、藤田が昭和五〇年三月下旬ないし四月始めころ、現地目証明の対象地の現況を確認させるため標茶農業委員会の鈴木健一、千葉健、浜垣市太郎を本件の山に案内し、山砂を採取する旨告げた事実を右鈴木及び千葉の取り調べによつて裏付け、藤田が昭和五〇年春ころ村井建設の泉光雄に対しシラルトロ沼の湖畔の山を買つてあるので砂を買つてくれるよう依頼し、承諾を受けていた事実を泉光雄に対する取り調べによつて裏付け、藤田が昭和五〇年春ころ、藤田盛及び標茶町役場建設課道路維持係長であつた中出國男を同道してシラルトロ沼の漁業権を有する塘路漁業協同組合の理事で本件土地の元所有者の一人であつた土佐良範を訪れ、シラルトロ沼側の山で山砂を採取することについて塘路漁業協同組合の承諾を貰おうとしたが、同人から本件土地は本件の山の部分を含まない湿地である旨説明され、本件の山が本件土地に隣接した農協所有地に含まれていることに初めて気付いた事実を藤田盛、中出國男、土佐良範に対する各取り調べにより裏付けた(いずれも検面調書を作成)。

4  原告は、本件公訴事実について捜査の当初から本件公訴提起に至るまで一貫して否認していたが、捜査の当初には、「辻谷守が転売する目的で本件土地を購入し、名義上買主を藤田にしたのだと思つた、辻谷、藤田らは転売しようとした本件土地が思うように売れず、商売がうまくいかないため、本件土地売買代金として原告に交付した明盛建設株式会社振り出しの手形の支払いに文句をつけ、かつ、山砂の採れない土地を売つたとして原告を詐欺で告訴してきたのだと思う」と供述していた。担当検察官は昭和五二年一二月九日に原告を逮捕し強制捜査を実施したが、その後の取り調べで原告は、本件土地の買主が藤田であることを認め、「本件売買の契約書を書き終わつたころ辻谷が藤田を指しながら原告に対し藤田の購入目的が砂の採取である旨を告げたが、原告は本件土地では山砂は採れないので変だと感じた、本件の山を含んでいないにもかかわらず本件土地を藤田が購入したのは辻谷、藤田らの勘違いによるものである」と供述するに至つた。

5  さらに、担当検察官は測量士である菅野喜一(以下「菅野」という。)を取り調べ、本件土地につき温泉開発するためには中を流れている川の護岸工事や埋め立てが必要で莫大な費用がかかること、昭和四九年の夏以降は既に土地ブームも去つており、転売をあてこんで土地を買い込んだ業者の業務内容は苦しくなつていた旨の供述を得、土地家屋取引主任の佐々木龍男を取り調べ、本件土地は春先になると端の方で膝の上まで水に浸かる谷地であり、およそ取引の対象になるものではなく、温泉開発や養殖に利用すべく埋め立てをするための費用の見積りもできない土地である旨の供述を得、農協所有地を実質的に所有していた塘路馬事振興会の理事であつた高橋市郎を取り調べ、本件土地は現地を見せて売れる代物ではなく、温泉開発等も現実的には考えられないので、地元で不動産業を営む辻谷らが坪単価六〇〇円も出して買う土地では絶対にありえない旨の供述を得、土地販売業者である浅田正雄を取り調べ、本件土地は、奥に温泉が出るので、土地の中に流れる川の護岸工事をきちんと行い埋立てをすれば、レジャー開発は可能だが、それには莫大な費用が必要で、本件土地の現況を見て実際に土地を知つている人は坪単価六〇〇円も出して買うことは考えられない旨の供述を得、測量登記を行う会社の代表者である佐田国光を取り調べ、本件土地はたとえ温泉が出たとしてもおよそ分譲の対象にならない土地である旨の供述を得、それぞれ検面調書を作成した。これに加えて、担当検察官は本件土地の客観的価値について調べるため、本件土地の昭和四九年一二月一八日時点での時価の鑑定評価を株式会社北海道不動産鑑定所に依頼したところ、坪単価が約二〇円であるという不動産鑑定評価の結果が出、湿地がその大半を占め、山砂の採取が到底不可能な本件土地の現況からすると、原告、藤田間の売買価格の坪単価約六〇〇円は異常に高額で不自然な価格であると判断する客観的資料を得た。

6  右の各取り調べ、証拠収集を含め、担当検察官は本件公訴提起前に二五名の関係者に延約五〇回の事情聴取を行い、公務所又は公私の団体に約四〇回もの捜査関係事項照会を行い、さらに合計四回の現地の実況見分及び鑑定をも実施した。そして、担当検察官は、収集した証拠資料を総合的に検討した結果、藤田供述は、終始本件土地の購入目的が明確で、右目的実現のため本件売買前後を通じ一貫して行動している事実が客観的証拠によつて裏付けられ、売買代金決定の交渉過程におけるやりとりも、山砂採取の目的に言及して具体的であるのに対して、原告の供述は、藤田が売買の相手方とは知らず、辻谷守が転売目的で購入したと思つていた旨の当初の弁解が、客観的証拠に合致しておらず、担当検察官に藤田が山砂採取の目的で購入したという客観的事実を突き付けられると、山砂の採れない本件土地を購入したのは藤田らの勘違いに基づくものではないかと弁解するに至つたことにみられるように微妙に変化したことや、あるいは、捜査の結果大部分が湿地である本件土地につき温泉開発の可能性があり転売できるとする客観的裏付けが乏しく、鑑定の結果本件土地の客観的価値が藤田の購入価格の僅か約三〇分の一にすぎないことが判明したこと等から藤田の供述は信用性が高いとみられるのに対して原告の供述は全体的に信用性が乏しいと判断した。そして、担当検察官は、本件公訴事実について、後記の点も含め、各積極証拠、消極証拠を総合検討の上、原告有罪の立証ができるという心証を抱き、かつ、詐欺犯として手口が大胆であり、被害額が一七五〇万円という多額であるほか、原告に藤田との間で示談の話合いをする等紛争を解決しようとの姿勢もみられないこと等の事情をも考慮して本件公訴提起を行つた。

右4の認定に反し甲第六九号証の記載中及び原告本人尋問の結果中には、原告の検面調書中の、売買契約締結直後に辻谷守が原告に対し藤田を指して「こいつに砂を採らせようと思つて買つたんだ。」と言つたのを聞いた旨の記載は、担当検察官が取り調べ中原告に「砂に関したことをなんでもいいから言つてくれ」と言つたので、原告が、「辻谷が藤田の仕事について『こいつに砂を採らしている』と話していたことがある」旨供述したところ、担当検察官が検面調書を原告が藤田の本件土地購入目的が山砂採取であることを聞いたという趣旨の内容にしてしまつたので原告はその訂正を申し出たが、担当検察官は別の違う話をして、そのうち右検面調書の訂正を行う機会を失つてそのままになつてしまつた旨の供述部分があるが、〈証拠〉によれば、右趣旨の検面調書は二通に作成されている上、いずれの調書も原告は誤りがない旨申し立て、署名、指印していることが明らかであることに照らして、右供述はにわかに措信できず、他に右1ないし6の認定を左右するに足りる証拠はない。

四次に右三で認定した事実を前提として、本件において、検察官が原告を起訴するに際し、通常必要とされる捜査を十分に尽くしておらず、起訴時における本件の各種証拠資料を総合勘案すると本件公訴事実につき合理的な疑問点が存在し、被疑者に詐欺罪の有罪判決を期待できる可能性のある客観的嫌疑がないにもかかわらず、敢えて本件公訴提起を行つたという違法性が認められるか否かについて、原告の主張に沿つて検討する。

1  まず原告は、昭和四九年一二月一四日の本件現地案内の際原告が本件土地の北西側境界として藤田らに指示した地点について、原告の供述と藤田らの供述とが対立しており、藤田主張地点を確認する有形的印象物として、藤田は藤田主張地点付近に菱形の道路標識があつた旨供述しているが、藤田の供述は昭和五二年一二月二〇日に至つて初めて述べられたものであり、それ以前に行われた藤田立会の検察官の実況見分の際も全く触れられておらず、辻谷守、辻谷博は右道路標識について全く認識がない上、刑事第一審の公判審理の結果を併せると、昭和四九年一二月一四日当時藤田主張地点付近には道路標識はなかつたことが窺われるのであるから、藤田の供述が虚偽かあるいは思い違いであることが推認されるにもかかわらず、検察官は境界についての藤田の供述の客観的齟齬に気付かずこれを看過し、あるいは藤田の感覚的距離感を軽信した重大な過誤がある旨主張する。

確かに、前記三・2に認定したとおり、原告主張地点と藤田主張地点とは、本件の山の頂上から西端へ下る屋根を中心にほぼ表裏の関係に有り、いずれの地点においても路上から急斜面に位置する本件の山の頂上る見ることはできず、付近の雑木林の状況も双方酷似していて外観上区別できるような特徴はない上、〈証拠〉によれば、担当検察官は藤田を取り調べた結果昭和五一年八月二六日から合計一〇通の検面調書を作成しているが、菱形の板の付いている道路標識が有つた辺りから少し戻つた所が藤田主張地点である旨の藤田の道路標識に関する供述は昭和五二年一二月二〇日付けの検面調書で初めて述べられており、藤田の立会の下で昭和五一年一一月二六日に実施された検察官の実況見分の調書には藤田が道路標識について指示、説明したことを窺わせる記載がなく、辻谷守、辻谷博の各検面調書では右道路標識について供述が全くないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、捜査の当初から参考人がすべての点にわたつてもれなく供述することはむしろ通常は期待できないところであるし、検察官も当初からすべての点にわたつて事情聴取できるわけではなく、捜査の進展にともなつて参考人が重要な点について新たに記憶を喚起することが生じることも十分考えられるから、藤田が昭和五二年一二月二〇日になつて初めて道路標識について供述したことそれ自体は特段不合理あるいは不自然なことであるとは解されないし、〈証拠〉によれば、検察官作成の昭和五一年一二月一〇日付け捜査報告書に添付されている写真撮影現場見取図には藤田主張地点付近に菱形の道路標識が存在する旨の表示が記載されており、右報告書に添付されている同月五日撮影の写真には、藤田主張地点から標茶方向に向かつて山側に菱形の道路標識が写つており、昭和五一年一一月二六日に検察官が実況見分を実施した際に撮影し、実況見分調書に添付されている写真には、藤田主張地点から標茶方向に向かつて山側に菱形の道路標識が写つている上、昭和五二年七月一八日に実施された検察官の実況見分調書添付の見取図には菱形の道路標識が存在する旨の表示が記載され、辻谷守、辻谷博が原告によつて本件土地の北西側境界として指示されたと主張する地点が、右道路標識から釧路方向に30.5メートルの距離に存する旨の記載があり、同調書添付の写真には、菱形の二個の連なつた道路標識が写つていることを併せ考慮すると、担当検察官が藤田主張地点を客観的に位置付けるために目印となる菱形の道路標識について必ずしも見落としていたわけではなく、少なくとも昭和五二年七月一八日以降は右道路標識について認識して捜査を行つていることが推認されるのである。さらに、〈証拠〉によれば、昭和五三年八月二五日に刑事第一審裁判所が検証を実施した際、右検証時に藤田が原告によつて本件土地の北西側境界として指示されたと主張する地点から標茶方向に約一九二メートル進んだ前方の山側の地点に左方屈曲及び幅員減少の二個の連なつた道路標識が立てられており、右道路標識は昭和四三年ころ、右検証時に設置されていた地点より約一四〇メートル釧路方向に戻つた山側に設置されたが、右付近の道路改良工事の終了した昭和五〇年ないし同五一年ころに、設置された地点から約一五メートル釧路方向に戻つた位置に移動されたこと、昭和五一年一一月二六日の時点では、右地点付近の菱形の道路標識は一個だけであつたが、昭和五二年七月一八日の時点では右道路標識は二個の菱形の連なつたものになつていたこと、さらに右道路標識は前記検証の実施された二、三日前に、前記検証時に設置されていた地点に移動されたこと、道道釧路弟子屈線標茶町シラルトロ改良工事は昭和五〇年一二月に終了していることが認められ、前掲甲第二、第三号証、乙第四五号証中の前記各写真にそれぞれ菱形の道路標識が写つていることが明らかであるから、昭和四九年一二月一四日の本件現地案内当時、菱形の道路標識は藤田主張地点付近から標茶方向に約五〇メートル前後進んだ付近の山側に設置されていたが、その後道路改良工事が終了した昭和五〇年末ころ、釧路方向に約一五メートル移動され、さらに昭和五一年一一月二六日以降同五二年七月一八日までの間に道路標識が一つ付け加えられ、左方屈曲及び幅員減少の二個の連なつた菱形の道路標識となつたことが推認されるところである。

右認定の各事実を総合すれば、本件現地案内当時藤田主張地点から道路に沿つてやや標茶方向に進んだ付近の山側に菱形の道路標識が存在しており、担当検察官は本件公訴提起前に右道路標識の存在を認識して取り調べを行い、藤田主張地点の特定のための一資料としていたことが明らかであるから、右標識がなかつたことを前提に、検察官が道路標識についての客観的事実と藤田の供述との間の齟齬に気付かず、藤田の供述を軽信した過誤があつたとする原告の主張はその前提を欠き失当である。

2  次に原告は、本件現地案内の際、原告が本件土地の南側境界予定線について指示、説明したことついて、藤田、辻谷守、辻谷博の記憶が異なつており、この点につき検察官が捜査を十分行えば、南側境界予定線の認識に顕著な対立があることが判明し、当然の事理として、本件土地の北西側境界についても三者の認識に相違が生じるはずであるから、三者ともに原告は藤田主張地点を右境界として指示した旨供述がほぼ一致していることに疑問を抱き、右各供述の信用性がないことを容易に看取することができたにもかかわらず、右捜査を怠つた過誤がある旨主張する。

確かに〈証拠〉によれば、藤田は昭和五三年四月二一日から同年六月一六日にかけて実施された刑事第一審における証人尋問において、「昭和四九年一二月一四日に本件土地の現地で原告、藤田、辻谷らが待合わせて落ち合つた際、原告は藤田らの乗つた車が停車した付近が本件土地の南側境界だと説明した上で、すぐに北西側境界に向かつて道路を歩きだし、藤田主張地点付近で杭がある旨述べて積もつていた雪を掻き分けて探したものの見付からなかつたが、原告はその付近で本件土地は山が大半で谷地は少しの扇形の土地である旨の説明をした」旨証言していたが、昭和五三年八月二五日に実施された刑事第一審における本件土地の現地での証人尋問においては、「原告は車を停めた付近が本件土地の南側境界である旨指示した際、原告は二メートル程山側に登り境界の杭を探したが見付からず、さらに北西側の境界を指示する際にも山側に五、六メートル登つて境界の杭を探したが見付からなかつた」旨証言し、さらに昭和五六年一〇月三〇日に実施された刑事控訴審における証人尋問においても、「原告は南側境界と北西側境界の二箇所で雪を掻き分けて境界杭を探したが、二箇所とも杭は見付からなかつた」旨証言したこと、〈証拠〉によれば、辻谷守は一審における二回の証人尋問において、「本件現地案内の際、本件土地の南側境界について電信柱あたりから湿原の中を奥に境界線が走つていると原告から指示を受け、本件土地の南側境界は少し湿地帯にかかると認識したが、その際、電信柱やあるいは冷泉橋付近まで車から降りて歩いた記憶はなく、原告が藤田らと共に北西側境界とされる藤田主張地点まで歩き、その付近の山の中途まで登つて行つて杭を探したところ、ぐらぐらするような境界の杭があつたような記憶がある」旨証言したが、昭和五六年一〇月三〇日に実施された刑事控訴審における証人尋問において、「本件現地案内の際、冷泉橋付近まで原告らと歩いた」旨の証言したこと、〈証拠〉によれば、辻谷博は刑事第一審における証人尋問において、「本件現地案内の際、原告は本件土地の南側境界は車の停車している辺りから東側の小屋あるいは砂山の方向に境界が走つている旨説明したので、辻谷博は本件土地に湿地帯が少し含まれると認識したが、冷泉橋付近までは案内されていない」旨証言していることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。右各認定事実によれば、本件公訴提起後の刑事公判における証人尋問の結果、藤田、辻谷博と辻谷守との間に、原告が本件土地の南側境界予定線についてどのように説明したかの記憶及びそれに伴う各自の本件土地の南側境界についての認識にそれぞれ相違があることが判明したほか、原告が本件土地の南側境界を指示したときの位置については、冷泉橋付近まで歩いて指示したとする辻谷守と、停車した車付近であるとする辻谷博と、境界線を探しに山側に少し登つた付近であるとする藤田との間で三者三様の記憶に相違のあることが判明した。

しかしながら、〈証拠〉によれば、捜査段階において藤田は、「本件現地案内のため原告、藤田、辻谷らが現地で落ち合つた際、原告は地図を手にしながら本件土地は隣の湿地帯には若干しかかかつていない扇形の三角形の土地である旨の説明を行つた後、藤田らを藤田主張地点まで案内し、境界を示す印があるからと言つて雪を掻き分けて探していた」旨供述し、前掲甲第三〇号証によれば、辻谷守は、「本件現地案内の際原告は待ち合わせの場所に立つたまま、地図を手にしながら本件土地の南側境界について湿地帯も幾らか入るけれど殆ど山である旨の説明をしただけで、標茶方向に歩きだし、かなり歩いて山の突端を過ぎてさらに奥の方へ曲がつていき、ここら辺に境界標が有るはずだと説明して雪を掻き分けて探したが見付からなかつた」旨供述し、前掲甲第三二号証によれば、辻谷博は、「本件現地案内の際、まず車の中で原告が地図を見ながら土地の説明をした後、弟子屈方向に歩きだし、湖に突き出た山の突端を少し過ぎたところまで歩き、ここら辺に境界標が有るはずだと言つて雪を掻き分けて探したが見付からなかつた」旨供述していることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はないから、公訴提起前に行われた検察官の取り調べの段階では、藤田、辻谷守、辻谷博の各供述は、現地での原告の行動及び本件土地の南側境界に関する説明について大筋で一致していたことが明らかであり、公訴提起後の証人尋問における藤田や辻谷守の供述内容の変化は、時間の経過や度重なる取り調べ、尋問による記憶の混乱もその一因であると考えられるから、公訴提起後の刑事公判における証人尋問の結果、藤田自身、あるいは藤田、辻谷守、辻谷博の供述に多少の相違が生じたことのみをもつて、直ちに担当検察官が南側境界予定線につきさらに捜査を尽くすべきであつたとか、担当検察官が必要な捜査を怠つた違法性があると認めることはできない(なお、原告本人尋問の結果によれば、本件現地案内の当時、本件土地の南側境界予定線は確定的に定められていたわけではなく、原告自身も南側境界予定線を正確に認識していなかつたことが認められるから、原告によつて説明を受けた藤田、辻谷らの南側境界についての認識が必ずしも特定され、かつ一致したものではなかつたとしても、そのこと自体はあながち不自然であると言いきることもできない。)。

もつとも、当該刑事事件における犯罪の成否そのものに関わる争点についての捜査段階における関係者の供述が、刑事公判の審理において維持されなかつたときには、そのことから翻つて担当検察官が当該捜査の詰めを欠いたものとして所要の捜査を懈怠したという違法性を推認すべき場合もあると解することが相当である。そこで、さらに本件事件の捜査における本件土地の南側境界予定線に関する関係者の認識等の意義を検討するに、前記三・2に認定したとおり、本件事件における中心的争点は、本件土地の北西側境界として原告が藤田主張地点を指示したとする藤田らの供述と、原告主張地点を指示したとする原告の供述のどちらが客観的事実に合致しているかどうかという点であり、担当検察官としては、右両者のどちらの供述が信用できるのかを判断するために、原告が本件土地の北西側境界として指示した場所の客観的目印となるものの有無、原告の指示した本件土地の北西側境界が、藤田が必要としていた本件の山を含むことになる藤田主張地点であつたからこそ本件土地を購入したという藤田の供述が、本件の山を必要とする事情あるいは本件土地購入後の藤田の行動等によつて客観的に裏付けられるか、逆に、原告主張地点を指示したとする原告の供述が、本件土地売買の経緯、内容等に照らして合理的に裏付けられるか等の点について捜査する必要があると判断したものであるところ、担当検察官の右判断は、本件事件の性質・内容に照らして相当かつ合理的なものということができる。右のような本件捜査の構造の中では、確かに、本件土地の南側境界予定線についての原告の指示の仕方あるいはそれに伴う藤田らの本件土地の南側境界線についての認識について捜査することは、藤田らの供述の信用性判断の一つの材料と一応なりうるものという位置づけができる事項である。しかしながら、事柄の性質上関係者の南側境界についての認識に相違があれば当然北西側境界についての認識にも相違が生ずるということは必ずしもいえないのであるから、右争点判断に直接つながる必要不可欠な事項とまでは解することができないのである。したがつて、前記のとおり、検察官の取り調べの段階では、藤田、辻谷守、辻谷博の各供述が現地での原告の行動及び本件土地の南側境界に関する説明につき大筋で一致していた本件捜査の経過の下では、担当検察官が藤田や原告の供述の信用性を判断するために前記三・3に認定したように右各必要事項につき周到な捜査を尽くして裏付けを取る捜査を行つていることを併せ考慮すれば、担当検察官に対し、本件起訴の時点において、本件土地の南側境界予定線に関する関係者の認識等につき、本件捜査でなされている以上の捜査を通常期待することはできないから、結局、この点について担当検察官が必要な捜査を怠つた違法性があると認めることはできないといわなければならない。

3  また、原告は、検察官の藤田らに対する捜査は、本件土地の北西側境界として原告が指示した地点の位置はどこかという点だけに着目しているが、原告が境界点で尾根のいかなる方向を指し示したかという点につきさらに捜査を尽くせば、原告の指示方向についての藤田、辻谷守、辻谷博の各認識に重大な相違があることが判明するとともに、南側境界に関する指示説明と相まつて、本件土地の形状の認識につき三者三様の異なる様相を呈することが明らかとなり、三者の供述が全く信用性のないことが看取できたのにもかかわらず、これを怠り粗略な捜査を行つた過誤がある旨主張する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、本件公訴提起前の検察官の取り調べにおいて、辻谷守は、「本件現地案内の際、本件土地の北西側境界地点から境界線が走る方向について、まつすぐ山奥の方へ入る境界線ではなくて斜めに山の峰を通つて湿地帯に向かう境界線だと原告から説明を受けた」旨供述し、辻谷博は右の点につき、「原告の指示した方向は山の奥の方を指さしたが具体的には覚えていない」旨供述しており、右両名は本件公訴提起後の刑事第一審裁判所の現場検証においては、原告が北西側境界地点で境界線の走つている方向として指示した方向は、辻谷守も辻谷博もほぼ同一の南東方向であると説明し、辻谷らは本件土地の南側境界地点で原告から指示された境界線の走つている方向はほぼ東側方向であると説明していることが認められ(右認定に反する証拠はない)、〈証拠〉によれば、藤田が本件土地を三角形の扇形と認識していたことは明らかである(なお、証人藤田の証言中には、原告訴訟代理人の「図形はどうなるのですか。あなたのイメージでは四角になるんですか。」という尋問に対し、「四角になるの。当然です。」と供述し、さらに、同じく「四角になるの。長方形になるんですか。」という尋問に対し、「なりますね。」と供述している部分があるが、右各供述部分は、その前後の尋問を勘案すれば、本件現地案内の際原告から見せられた図面上では、本件土地の形状は長方形であつたという趣旨であると解されるから、藤田が原告から本件現地案内の際具体的な指示を受けた結果、本件土地の形状は三角形の扇形であると認識したとしても何ら矛盾するものではない。)。

右事実を総合すれば、藤田、辻谷守、辻谷博の、原告から指示された本件土地の北西側境界点での境界線の走る方向についての記憶は、本件の山を横切り湿地帯に向かう南東方向である点でほぼ一致しており、本件土地の形状が実際にはほぼ長方形となるにもかかわらず、右三者ともほぼ本件土地の形状が扇形の三角形になるような方向指示説明を原告から受けたという認識をもつていたことが認められるから、右方向についての右三者の認識が異なることを前提に、検察官が捜査を粗略に行つた過誤がある旨の主張は失当である。

4  原告は、検察官が関係者の供述を子細に検討し、さらに捜査を尽くせば、本件土地の北西側境界には本件現地案内の当時仮杭が存在していたことが判明し得たにもかかわらず、これを怠つた粗略な捜査のため仮杭が右当時存在しなかつたものと認定し、原告の供述の信用性判断を誤つた過誤がある旨主張する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、原告が本件現地案内の当時本件土地の北西側境界に存在していたと主張する仮杭について、担当検察官は、その裏付けのため、原告の依頼を受け本件土地の測量を行い仮杭を設置した菅野喜一、原告の義弟で右測量に補助者として立ち会つた大村邦和(以下「大村」という。)及び菅野測量事務所所属の正垣喜美子を取り調べたが、大村は昭和四九年の夏から秋に本件土地の北西側境界に仮杭を設置した旨供述するものの、正垣喜美子は昭和四九年中には境界を示す杭等は設置していない旨供述しており、自ら仮杭を設置したという菅野は当初昭和五〇年になつてから仮杭を設置した記憶がある旨供述していたが、後に、昭和四九年中に設置したかもしれない旨供述を訂正し、それ以上設置時期を特定する供述はしていないため、担当検察官は本件土地の北西側境界に設置された仮杭の設置時期については結局確定的な結論を出さなかつたこと、担当検察官は、本件現地案内当時の仮杭の存否は原告の供述の信用性判断のため重要な事実であり、仮杭がなかつたならば原告の弁解が全く根拠のないものとなるのは明らかであるが、たとえ仮杭が本件現地案内の当時既に設置されていたとしても、雪で発見できなかつたが仮杭の設置されていた位置付近を本件境界として指示したという原告の弁解が形式上成り立つ可能性が残るにすぎず、実際に仮杭の有つた位置付近を指示したか否かは他の証拠を含めた全体的な証拠評価によつて決まる問題であると考え、前記のとおり他の証拠を総合評価した結果、原告は藤田主張地点を指示したものであると認定して本件公訴提起を行つたこと、本件公訴提起後右仮杭の設置に関しては証人として証拠調べが行われたのは菅野及び大村だけであること等の事実が認められる。

右事実によれば、担当検察官は、仮杭の設置に関し必要な関係者は総て捜査段階で取り調べていると認められるし、菅野については少なくとも二回にわたつて取り調べているのであるから、この点において担当検察官が必要な捜査を怠つたとはいい難いのである。これに加えて、担当検察官は仮杭が本件現地案内当時存在しなかつたと認定して本件公訴を提起したわけではなく、捜査の結果収集された証拠資料からは仮杭の存否については確定できず、その存在には疑問が残るが、仮に存在していたとしても、他の証拠から原告は藤田主張地点を指示したものであることが認定できるとし、原告には客観的嫌疑があると判断して本件公訴を提起したことが明らかであるし、さらに、菅野は刑事第一審において仮杭を設置したのは昭和四九年一二月二〇日前後であると初めて時期を特定して証言するに至り、刑事控訴審はその後提出された大村の手紙、気象照会の回答等の書証に基づく仮杭設置に立ち会つた大村が右時期に釧路地方にいなかつた事実あるいは右時期当時の気象状況等に照らして菅野の右証言は不自然、不合理であると判断し、菅野の供述を排斥して仮杭が本件現地案内当時設置されていたと認定するに至つたこと等〈証拠〉によつて認められる本件公訴提起後の経過をも併せ勘案すれば、担当検察官が本件公訴提起前に収集していた証拠を総合評価した結果、起訴の時点で、本件現地案内当時、右仮杭は設置されていたか否か不明であると判断した過程には不合理、不自然なものは認められないところであるから、結局、必要な捜査を尽くさず、又は、事実を誤認し証拠評価を誤つたといつた違法行為は認められず、原告のこの点の主張もまた失当であるといわなければならない。

5  最後に、原告は、検察官が対立する関係者の供述を慎重に検討し、捜査をすれば、本件土地の売買に当つて山砂採取の点は価格決定の条件にはなつておらず、原告において藤田の購入目的が山砂採取であることを了解していなかつたことが判明し、詐欺罪における犯意につき合理的な疑いが生じた筈であり、検察官は原告の説明を軽信し、慎重な捜査を怠つた結果事実の認定を誤つた旨主張する。

しかしながら、証人遠藤太嘉男の証言によると、担当検察官である同人は、前記の告訴状の検討を開始したときから、右告訴事件が、山砂が採れる土地と指示され、そのとおりと思つて購入したところ山砂の採れない土地であつたというのであるから、右事件のポイントは、藤田が山砂採取の目的を有していたか否か、右目的を原告が認識していたか否かという点であると考え、捜査に着手したことが認められ、その後の捜査は前記三で認定したとおり一貫して右の点に焦点が当てられており、結局担当検察官は、一連の藤田の供述が、本供土地の購入目的及びその必要性、売買前の原告との交渉、本件現場案内の状況、売買代金決定過程、売買契約締結後の藤田の行動、告訴に至る経緯等の事実によつて客観的に裏付けられた信用性の高い証拠と評価でき、逆に原告の供述は措信するに値しないと判断するに至つたのである。右の捜査の過程において、担当検察官が必要な裏付け捜査を欠いたまま藤田の供述を軽信したり、また、何の合理的理由もなく原告の供述を排斥したことを窺わせる事情は本件全証拠によつても認めることができず、原告の右主張も失当といわなければならない。

6  以上を総合すると、担当検察官は、本件公訴事実に関し必要な捜査を尽くした上、収集された証拠資料を検討した結果、原告に有罪判決を期待できる可能性のある客観的嫌疑が存在すると判断して本件公訴提起を行つたのであつて、合理的なものと認められ、担当検察官が必要な捜査を尽くさず、又は客観的嫌疑が存在しないにもかかわらず存在すると判断して公訴を提起したという違法性は認められないから、その余の事実について判断するまでもなく、原告の請求は失当である。

五結論

以上によれば、原告の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤康 裁判官加藤新太郎 裁判官生野考司は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官佐藤康)

別紙公訴事実

被告人は、昭和四三年以来不動産販売等の業務を営んでいるものであるが、土地売買代金名下に金員を騙取しようと企て、昭和四九年一二月一四日ころ、自己が処分権限を有する川上郡標茶町字塘路二〇番一三原野付近において、山砂採取のため右土地の弟子屈寄り隣地に当る山林(川上郡標茶町字塘路三二番二地目牧場)の一部を購入する希望をもつていた明盛建設株式会社専務取締役藤田文明に対し、真実は右山林につき被告人は何らその処分権限を有していなかつたにもかかわらず、前記二〇番一三の土地には右山林の一部が含まれているもののごとく装つて、右藤田を同二〇番一三の谷地と右山林の境から右山林の山の端に沿つて弟子屈方面に向けて約368.7メートル案内したうえ、同地点までが同二〇番一三の土地であり、それ以降がその隣地に当る旨虚偽の事実を申し向け、右藤田をして、右二〇番一三の土地には同地点までの山林が含まれるものと誤信させ、よつて、同月一八日同弟子屈町字弟子屈一二〇番地辻谷建設株式会社事務所において、右藤田をして、被告人が当時経営していた株式会社カネ拓拓伸との間に、前記二〇番一三の土地を代金一七、五〇〇、〇〇〇円で購入する旨の契約を締結せしめ、同日、同郡標茶町字標茶九三五番地宮越司法事務所前路上において、右藤田らから、右売買代金として現金二、〇〇〇、〇〇〇円、明盛建設株式会社代表取締役藤田盛振出にかかる額面五、〇〇〇、〇〇〇円、株式会社北洋相互銀行弟子屈支店宛の小切手一通、同人振出にかかる額面五、〇〇〇、〇〇〇円、支払期日昭和五〇年五月三一日及び額面五、五〇〇、〇〇〇円、支払期日昭和五〇年六月三〇日、支払場所いずれも株式会社北洋相互銀行弟子屈支店の約束手形各一通の交付を受けてこれを騙取したものである。

別紙現場見取図〈省略〉

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